ヒムラーが押し付けた独自の宗教感と思想

ブラックコメディが効いてる!『ミケランジェロの暗号』から見るナチス親衛隊と制服

勢力が一気に増えた親衛隊には中央組織がおかれ、本部の下に各部署が置かれる組織図をとっています。そしてヒムラーが全ドイツ警察長官、ドイツ民族性強化国家委員、内相などの国家の役職を兼任するようになると、国家機関も親衛隊の機関として含まれるようになりました。最終的には12の本部が親衛隊には存在していました。

親衛隊に入隊すると、親衛隊員は左の腋下に血液型を入れ墨をしました。入れ墨をした理由に、親衛隊員は優秀な存在のため、万一の場合には他の兵士よりも親衛隊員が優先的に輸血を受ける権利がある、という指導部の思想のためです。この入れ墨が敗戦後に「親衛隊員であった動かぬ証拠」となりました。戦後に刑事責任追及するための身柄確保に入れ墨が大変役立つことになりました。現在でもナチハンターは、この入れ墨と入れ墨を消した痕を犯人を判断するための最大の間接事実としています。

親衛隊の思想

ナチ党の党首アドルフ・ヒトラーは自書の『我が闘争』の中で主張しているのは、左翼政党、金融資本、国民経済空洞化、議会主義、自由主義、平和主義などが「ドイツ労働者を墜落させる」。これらの要素はすべてユダヤ人の世界陰謀によるもので、全ての歴史は「文化創造人種アーリア人 VS 文化破壊人種ユダヤ人」という文脈で捉えられるとしています。。

もちろん親衛隊も、このヒトラーの「文化創造人種こそがアーリア人でユダヤ人は排除すべきもの」といった思想を受け継いでいます。そしてヒムラーがイデオロギーに感銘したのは、親衛隊の人種理論を立てていたリヒャルト・ヴァルター・ダレです。ダレは「歴史上の偉大な帝国や文明はほとんどが北方人種によって作られて、維持されてきた。これらの帝国が滅びてしまったのは、北方人種の血が守られなかったためだ」と主張していたため、北方人種の血を守るために有害なユダヤ人、そしてフリーメーソン、またキリスト教会なども排除する必要性を訴えていました。

親衛隊員の世界観教育は、親衛隊人種及び移住本部が親衛隊員の世界観教育を所管していたことから、親衛隊がいかに人種教育に力を入れていたことが分かります。ところが、人種関連の講義は親衛隊の隊員から人気がなかっため、講義そのものが形骸化していったこともあって、世界観教育は後に親衛隊本部の所管になりました。

親衛隊の宗教感

親衛隊のトップに君臨する全国指導者ハインリヒ・ヒムラーは、親衛隊の隊員をキリスト教から切り離して、古代ゲルマン異教思想を持たせることに努めました。そのため、親衛隊員の結婚に際しても婚姻条例で隊員の結婚式をキリスト教会で行うことを禁じています。親衛隊員の結婚式は、親衛隊の部隊で結婚式を執り行わせました。そして結婚式では上官の親衛隊将校が牧師の代わりを務めています。そしてクリスマスを祝う習慣を無くすべために、冬至祭を祝うことを奨励しました。

1934年7月に、古城ヴェーヴェルスブルクを親衛隊として購入していますが、この古城がフン族の攻撃を防いだと言われていることともあって、ヒムラーはこの古城に『アーサー王物語』『円卓の騎士』に強い影響を受けた大改築を行って、古城のヴェーヴェルスブルクをゲルマン異教の儀式の中心地にしようとしていました。親衛隊幹部は、この城でヒムラーとともに数時間の瞑想を強要されたといいます。オカルト好きのヒムラーらしいエピソードです。

1935年にヒムラーの主導で「アーリア人種の人種学や歴史学の研究を行うことを目的」としてアーネンエルベなる研究機関が創設しています。この研究機関で、親衛隊の隊員たちにルーン文字などの「北欧人種の歴史」を教育したり、ヒムラーの異教思想を科学的に実証しようしたことなどが試みられていました。「ゲルマニア」という機関紙を発行して、いかにアーリア民族が優秀なのか?!といったアピールなども行っています。

しかし、ヒムラーが一生懸命に親衛隊の隊員たちをキリスト教から離そうとしていても、結局隊員達をキリスト教から離すことはなかなかできませんでした。おまけにヒムラーが定めた婚姻規則は、隊員たちから不評を買ったため、結局、婚姻規則の処分用件が緩和されていきました。

1935年のときには婚姻条例に反した隊員は親衛隊から追放するとしていましたが、1937年には人種条項に反した結婚でなければ、それ以外の婚姻条例に違反していたとしても必ずしも追放されないと修正されています。さらに、1940年には人種条項以外の規定のために追放された隊員は、人種条項にさえ反していなければ、ふたたび親衛隊への再入隊が認められるとも定められました。

一般親衛隊は3分の2が、キリスト教徒です。非キリスト教徒が多かった部隊は、雑多な人種がいた武装親衛隊や親衛隊髑髏部隊です。武装親衛隊の53.6%、髑髏部隊の69%が非キリスト教徒でした。なんとかしてキリスト教を離れさせようとしていましたが、なかなかキリスト教徒が減ることがなかったため戦争中にはカトリックの司祭が、武装親衛隊部隊に配属されています。

そして親衛隊の隊員たちからだけではなく、他のナチ党幹部からもヒムラーの異教思想は受けが悪かったことがわかります。プロパガンダの天才とも言われたヨーゼフ・ゲッベルスは1935年8月21日の日記で「ローゼンベルクとヒムラーとダレは、ばかばかしい儀式は止めるべきだ。バカバカしいドイツ崇拝は全部やめさせなければならない。こんなサボタージュをする奴らには武器だけを持たせよう」と書いています。ヒムラーは懲りずにヴェーヴェルスブルク城にヒトラーの部屋を作らせて、ヒトラーがこの古城への訪問を心待ちにしていましえたが、最後までヒトラーから相手にされることはありませんでした。

私の最良の敵 Mein bester Feind

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ナチス親衛隊の制服

親衛隊の装備品

SS親衛隊名誉指輪

親衛隊が結成させるまで

Protection Squadron 親衛隊とは・・。